--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

涼宮ハルヒについて大いに語る。番外編。

2006年11月08日 19:35

涼宮ハルヒについて大いに語る。その一。で私とハルヒとの出会いに触れた。『涼宮ハルヒの憂鬱』本編やイラストが私を惹きつけたことは言うまでもないが、実はあとがきも結構ポイントが高かったりする。

できないと言えば、この前振りから話題を膨らませることもできないのですが、それはいったん脇に置いておいて別の話に移行すると、猫は良い生き物です。可愛いしグンニャリしてるしニャーと鳴きます。だからそれがどうしたんだと思われても困るのですが、僕自身が困っているのでそのあたりはいいわけのしようもなく、「そのようなものである」と思っていただければ幸いです。
涼宮ハルヒの憂鬱あとがきより

猫は良い生き物です。可愛いしグンニャリしてるしニャーと鳴きます。

この一文ほど猫を的確に表現している文にはなかなか出会えない。猫好きとして、この文には心構え無しにうっかり触ってしまったドアノブによる静電気のような衝撃を受けた。

猫は・良い・生き物です
この三つの言葉の組み合わせが、ここまで攻撃力を高めるとは。普通ならこういう言い方はしない。猫は可愛い動物です。のように何の変哲もない言い回しになってしまう。あえて「良い」という使いまわされすぎている言葉の選択。動物を飛び越して生き物として捕らえてしまうビジョンの広さ。文法的には限りなくシンプルなはずなのに、新鮮な感覚を呼び起こす。まさに選び抜かれた言葉といえよう。

可愛いしグンニャリしてるしニャーと鳴きます
列挙法が効果的に使われている。そしてその並べ方が秀逸。「可愛いし」で全世界の猫好きの共通認識をあげ、「グンニャリしているし」で少々特殊な著者の視点を前面に押し出し、「ニャーと鳴きます」と普遍的事実(ニャーという擬音語は日本限定だけど)でしめる。おまけに視覚、触覚、聴覚の三つの感覚器官に訴えてかけてくる。

「グンニャリ」という表現だが、確かに一般・日常的に猫に使われる擬態語ではないものの、しばし考えると妙にしっくりしてくるから不思議である。確かに猫っていうのは「グンニャリ」してる。たまに「シャキーン」としたのや「ガッシリ」した猫もいるけど、大抵は「ぐにゃー」とか「ぐでー」とかしてる。そしてそこが良い。「ガチガチ」「ムキムキ」な猫なんて猫じゃないもんな。

「ニャーと鳴きます」というのは、文脈的に「猫は良い生き物です」に係っているはずである。ニャーと鳴くからこそ、猫は良い生き物なのか。ニャーと鳴くのは猫の特長ではなく、猫の特性ではないのか。ニャーと鳴くなら猫が好きなのか、猫がもしニャーと鳴く動物でなくても猫好きになっていたのか、もし犬がニャーと鳴く動物だったら犬好きになっていたのか。そんな素朴な疑問が浮かんできたが、「もし」の話で悩んでも仕方があるまい(というかニャーと鳴くドーベルマンのおぞましい想像を打ち切りたい)。猫はニャーと鳴く。それがこの世界の常識なのだ。ニャーと鳴くから猫が好き。ある意味、可愛いから猫が好き、という理由よりも個人の主観に左右されない分、強固な意見なのかも知れない(謎。
とにかく「猫は良い生き物です(略)ニャーと鳴きます」によるちょっとした言葉の上での感覚の齟齬が、いっそうこの文の印象を強めることに成功しているのは確かである。



『涼宮ハルヒの憂鬱』の本の中で一番印象に残った文を挙げよ、といわれたらいささか反則気味だが「猫は良い生き物です。可愛いしグンニャリしてるしニャーと鳴きます」を選んでしまうと思う。

『涼宮ハルヒの憂鬱』の本の中で一番好きな文を挙げよ、という問だったらまた別の回答になるかな。どの一文を選ぶかは、もう一度隅々まで読み返してみないと解らないけれども。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://espider.blog78.fc2.com/tb.php/175-ebecbd8d
    この記事へのトラックバック

    涼宮ハルヒの憂鬱の●●●

    涼宮ハルヒの憂鬱の大ヒットは不思議です。面白いと言うのは当然としても、涼宮ハルヒの憂鬱の放送は「深夜枠」では異例の高視聴率、しかも「UHFローカル中心でわずか11局での放映」、さらに14話だけと短かいのに、う~ん、不思議です。




    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。