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赤と黒

2007年01月27日 18:48

赤と黒〈上〉 / スタンダール
赤と黒〈下〉 / スタンダール

例によって例のごとく長門さんの100冊の中の一冊。
SFとミステリが目立つリストの中、珍しく純文学。

製材小屋の息子として生まれたジュリヤンは、ナポレオンを崇拝する気持ちとと出世への野望を胸に秘めた若者だった。聖職者を志すジュリヤンはラテン語に秀でていたため、町長レナールの家で家庭教師として働くことになった。

・・・あらすじめんどくさい。

要するにジュリヤンとレナール夫人との間にあれやこれやがあって、家にいられなくなったジュリヤンは神学校に入り、校長のつてでパリの公爵の秘書になる。ジュリヤンは有能っぷりを次第に開花させていくが、公爵の令嬢とやっぱりあれやこれやがあってついには結婚してしまう。ところがどっこいレナール夫人からの手紙が全てをぶち壊してしまい、あと一歩で成功への道を逃したジュリヤンは復讐のためレナール夫人を殺そうとする。

とまあこんな感じ。人妻・できちゃった婚・破滅・復讐ってどんな昼ドラだよ。

本当はジュリヤンが垣間見るフランスの実態や革命前夜の緊張感とかにも注目すべきなんだろうけど、私歴史苦手だし・・・。


意外と苦にせず読めた。でもあらすじ書いていて思ったけど、前半部分がタルい。レナール夫人の手を取るためのジュリアンの葛藤が妙に長い。いろいろ冗長気味の部分を削ったら半分ぐらいになるんじゃないだろうか。

それから、主人公とその恋人達の駆け引き、態度がころころ変わりすぎだから。とくに公爵令嬢なんて水星の昼(427℃)と夜(-183℃)かってぐらい温度差(約600℃)が激しいから。ついていけないよ、まったく。


にしても、『赤と黒』のどこらへんが長門さんの琴線に触れたのだろうか。わからないなぁ。


おまけ。
作中で気になった当時のフランスの通貨について調べてみた。
作品の舞台が1830年代なので、レ・ミゼラブルとほぼ同時代だと仮定すると。

1ルイ=20フラン
1エキュ=3フラン
1リーブル=1フラン
1フラン=20スー
1スー=5サンチーム

さらにそれぞれがどのくらいの価値かっていうと。

1ルイ=2万円
1エキュ=3000円
1リーブル=1000円
1フラン=1000円
1スー=50円
1サンチーム=10円

やたらと通貨の単位が多くてややこしいね。
四十歳の司祭が十万フランの給料だという記述があるが、これは大体一億円ってことなのか。すごいなそれは。うらやましいぞ。

参考:2万フランで何を買う?
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ハルヒxドラゴンボール

2007年01月22日 01:48

ハルヒとドラゴンボールって私をおびき寄せる餌のような組み合わせじゃん。

ちょっと古いネタだけど。

ハルヒのドラゴンボール


餃子を久しぶりに見た。そういえば超能力使えるんだった。でもこの中で一番弱い。

魔界の王だからダーブラは異世界じゃないと思うな。

リアル鬼ごっこ

2007年01月20日 20:13

リアル鬼ごっこ リアル鬼ごっこ
山田 悠介 (2001/11)
文芸社

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ずいぶん前から気になっていた。
本屋の店頭では良く見かけた。若者に支持されているという話も聞いた。同時にぼろくそに批判されているのも知っていた。好奇心というか、怖いもの見たさというか。百聞は一見にしかず、とりあえず読んでみることにしたのだ。

あらすじ。
わがままで幼稚な王様が好き放題をしている未来国家。王様は自分と同じ苗字を持つ国民が増えすぎたことに不満を覚え、その数を減らす方法を考え出す。不幸にも王様と同じ苗字の「佐藤」さん五百万人は、鬼に捕まったら殺される「リアル鬼ごっこ」をさせられることになった。
短距離ランナーの佐藤翼には、幼い頃に分かれ離れになった妹がいる。馬鹿げた命がけの鬼ごっこが開催される中、翼は妹を探し出し鬼の手から守ることを決意した。


私はこのブログでは作品に対して好意的な感想を書いてきた。少々批判が混じっても、基本的には自分の気に入った作品しか紹介しなかった。でも今回ばかりは例外だ。悪口になるのを承知で、思ったことを書かせてもらう。山田悠介ファンは読まないほうが精神上よろしいかと。



最初のページで思った。これはダメだ。文章がダメだ。自分の口に合うとか合わないとか、読みやすいとか読みにくいとか、そういう次元じゃない。この文章は許せない。三行読んでは、その度に投げ出したくなった。我慢して読み進めたが、稚拙な文章だけが難点ではなかった。実は設定もプロットも相当お粗末だったのだ。


まず、既にさんざん言われているが、文章のレベルが低い。文法的におかしな点があるし、陳腐な表現がチラつくし、会話文が不自然だ。出版前に誰もチェックしなかったのだろうか。文が中学生並みとか言われているが、素直に納得。これでよく小説家を名乗れるな、というのが正直な感想。

次に、設定のつじつまが合わない。舞台は日本が元になっていると思われる王制の国家である。時は西暦3000年。高度な技術が発達している、ハズである。その割には国民の生活水準が現在とさして変わっていない。っていうかテレビはテレビのままだし、リモコンとかまだ使ってるし、新幹線も現役らしいし。時代を千年も先に進める必要はあったのか。ただ佐藤姓を探し出すハイテクゴーグルを登場させたいがための、安易な設定な気がする。

さらに、一億人いる国民のうち、五百万人が佐藤姓で、それを捕まえる鬼が百万人という設定。鬼ごっこが行われるのが一日一時間、七日間で計たった七時間。これはどう考えても無理があるんじゃないか。

五百万人やら百万人とか言われてもぱっと想像つかないので、解りやすいように縮小してみる。この王国が現在の日本と変わらないとすると、国土面積約37.8万km2。そのうち平地の面積は24%でここに人口の65%が住んでいる。全国の佐藤姓が特定の土地に偏っていないと仮定すると。

平地の面積: 3,780,000km2 x 0.24 = 907,200km2
平地に住む佐藤: 5,000,000人 x 0.65 = 3,250,000人
佐藤一人当たりの面積: 9,070,200km2 ÷ 3,250,000人 = 0.2791km2/佐藤

つまり単純に考えて約530m x 530mの面積に佐藤さんが一人いる計算になる。対する鬼は最初五人に一人の割合なので、初期状態では1.2km x 1.2kmの範囲に佐藤さんが五人、鬼が一人となる。

530m x 530mがどのくらいかというと、東京にある新宿御苑の面積が58万m2なので、その約半分。新宿御苑には佐藤さんが二人いる感じだ。ニューヨークのセントラルパークなら佐藤さん十一人、鬼二人。

セントラルパークには行ったことがないのでイメージがわかないのだけど、新宿御苑だって相当な広さだ。二人の人間が闇雲に歩き回っただけじゃ、何時間かかっても鉢合わせしないんじゃないかという気がする。ましてや鬼ごっこの舞台は視界の開けた広場じゃなくって、建物がある街中である。これは相当条件が厳しいんじゃないだろうか。

また残りの76%の土地では(とうてい人が立ち入ることができないような場所を除外したとしても)、もっと佐藤さん密度が低いはずである。

もちろん時間が経つにつれ佐藤さんは減っていくから、鬼の比率は高くなっていく。佐藤探知機もある。でも、それにしたって七時間で五百万人を百万人で捕まえるのは非現実的に感じる。

例えば、日本は島国であるからして、人の住む小さな島もいっぱいある。そんな島に住む佐藤さんはどうなるのだろう。例えば島民にたった一人だけ佐藤さんがいたとしたら。この佐藤さんのところには鬼は来るのだろうか。ぶっちゃけ最初の数日は鬼は派遣されてこないだろう。鬼の数が生存している佐藤さんの数を超えて初めて、この島に鬼が来る。その鬼達は島全体からたった一人の人間を探さなきゃいけない。もし佐藤さんが鬼が来る前に、近くの無人島かなんかに逃げていたらアウト(セーフ)だ。

だいたい佐藤さんが真面目に鬼ごっこしているのがおかしい。鬼ごっこといわれても、かくれんぼしてたって良いじゃないか。佐藤探知ゴーグルの有効範囲がどのくらいかはわからないが、その範囲外に隠れるっていう選択肢もあっただろうに。体力に自信があるなら毎日一時間遠泳していれば良いし、富士の樹海に出かけても良い。一週間だけ海外に高飛びってできなかったのだろうか。ってかこの大虐殺に海外諸国は一切反応しなかったのか。

物語の大前提がそもそもあやしいが、細かいところにも疑問が残る。なんで鬼ごっこで全力疾走することになるって分かっているのに、その直前に食事をするのか、とか。なんでみんな一日が終わるとバカ正直に自宅に戻ってくるのか、とか。なんでこんなどうしようもないバカ王を今まで放置していたのか、とか。まあ色々突っ込みどころはある。

そして最終的な物語の結末は、簡単に予想できてつまらない。どうせなら一捻り欲しかった。というかこの結末を、小説の中の人たちも予想しておこうよ。


ある日突然追われる者になるという、この作品のアイディアは若者受けしておかしくないと思う。主人公が鬼に追い詰められていく過程も、スリリングで引き込まれるものもある。だが、作品の完成度が高くないのにベストセラーになるのは納得がいかない。

当時の作者はまったくと言っていいほど読書をしていなかったらしい。本を読まない人間が小説を書くということに、なにか釈然としないものを感じる。


自費出版されたデビュー作だけを読んで、山田悠介という作家を評価するのはフェアではないとは思う。ただ『リアル鬼ごっこ』を読んでしまうと、他の作品を読む気がしなくなってしまうのが辛いところだ。


蛇足。
作者の文章が酷いとか間違っているとか書いたが、私だって自分の文章に自信を持っているわけではない。だけど文を書いてお金を貰う以上、それに見合うだけのレベルを読者として求めても良いんじゃないかと思うのだ。

それと私が読んだのは文芸社初版なので、大幅に加筆修正された幻冬舎版がどこまでマシになっているかは知らない。

アマゾンのレビューを有用性の高い順に並び替えてみると感動する。

縦読みを探してみるのも一興。

アイディアは悪くないのだから、ブラックユーモアでタイトに仕上げればよかったのに。そうしたらとんでもな設定が生きてくると思うんだけどな。

参考までに今の日本の佐藤人口は193万人。

猫たちの聖夜

2007年01月17日 06:59

長門さんの100冊のなかの一冊。
殺されるのも猫、殺すのも猫、探偵も猫。

なにやらいわくつきらしい古い家に引っ越してきたフランシスは、庭に首を裂かれた猫の死体があるのを発見してしまう。現場に居合わせたメイン・クーンの青髭によるとこれで殺された猫は四匹目だそうだ。理屈屋フランシスがこの連続殺猫事件の謎に挑む。

猫たちの聖夜 猫たちの聖夜
アキフ ピリンチ (1997/11)
早川書房

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ミステリーとしてはなかなか変わっている。キャラクターが猫なので人間にはない能力がどれほどまで事件とその解決に関係してくるかが、人間の読者としては計りづらいからである。よって状況的に誰が犯猫なのかというより、殺猫の動機から犯猫を導き出していく必要がある。そしてその動機って言うのが、やっぱり我々人間が認識している「猫」からは想像しがたい。というわけで謎解きという意味では勝手が違ってなかなか難しいと思ったり。


この小説の猫はなかなかリアル。探偵やったり、パソコンを操ったり、宗教にのめりこんだりする猫のどこが現実的なんだといわれると困るのだが、そういう人間臭さが追加されている以外はちゃんときちんと猫なのだ。あ、あと実際の猫よりかなり活動的だけど。家で一日中ゴロゴロしているような猫じゃ探偵にはなれないし、そもそもそんなんじゃ事件すら起こらないだろうから仕方のないことなんだろう。

この猫ミステリーの特筆すべき点は、原作者による注釈。なんと小説の中の猫たちのしぐさに、猫の生態や特徴をより詳しく説明した注釈がついているのだ。これはかなりポイントが高い。しっかり「猫」を掴んで書かれているというのは、猫好きにとってたまらない。たとえば
グスタフは、ぼくと話をするときは決まって妙ちくりんな赤ちゃん言葉を使う。べつに気にはならない。というのも、もしぼくがグスタフとことばで話をするとしたら、やはりおなじような幼稚な言葉を採用するだろうからだ。
言わなくても解るだろうが、「ぼく」が猫のフランシスで「グスタフ」が飼い主の人間である。なかなか皮肉なことを言ってくれるけど、そういうところが猫だから許せるんだよね。

ブレーメンII

2007年01月11日 22:15

川原泉『ブレーメンII』2005年星雲賞受賞作品(全五巻)。

ブレーメンII (1) ブレーメンII (1)
川原 泉 (2000/04)
白泉社

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実は川原泉がけっこう好きだ。
小学校のとき友達に『笑う大天使』を借りて以来、あの間延びしたような作風と絶妙な言い回しに惹かれてしまったのだ。


『ブレーメンII』の最初の数ページで私は思った。
これは人間と動物が力を合わせてマイペースに宇宙を進む物語なんだろう、と。イヌがわんわん、ネコがにゃーにゃー、カエルがぴょんぴょん、サルがきーきー、にぎやかに和やかに気楽に、待ち構える困難に立ち向かっていくのだろう、と。ところがどうして、なかなか血なまぐさくてシリアスで泣ける話じゃないですか。

この物語は短編『アンドロイドはミスティブルーの夢を見るか』の設定をそのまま引き継いでいる。イレブン・ナインとの異名を持つ99.999999999%の正確さを誇る宇宙飛行士、キラ・ナルセが主人公。キラは大型輸送船ブレーメンIIの船長に就任した。ところがブレーメンIIのクルーの中で人間はキラ一人。残りはブレーメン(働く動物)と呼ばれる、バイオテクノロジーによって知性を与えられた動物達であった。


知性を高めた動物っていうと『知性化戦争』だよね。長門さんの100冊のなかの一冊。買ったはいいけど最初の数ページで止まってしまってるな。読んでしまいたいんだけど、あの上下巻合わせた厚さにちょっと怯んでいる。

あとリトル・グレイという自称火星人が登場する。これは『火星人ゴーホーム』の緑色の火星人っぽい。リトル・グレイのほうが幾分マシみたいだけど。このリトル・グレイの意味不明っぷりが素敵。「激ウマ焼きたてハウステンボスありえないし」とか「通勤快速でそろばん3級をこだわります」とか。


川原泉にしては珍しく、人が大量に死ぬ。ホラーな化け物に惨殺される。

川原泉の作品は決してお気楽一辺倒ではない。以前の作品でも人は死んだ。でもそこに負の感情は見えなかった。なのにこの作品では一巻でいきなり335人が血の海の中に倒れる。その犯人が楳図かずおばりの化け物なんだが、交互にコマに現れるメルヘンな白ヤギさんとのコントラストがなんともいえない。

基本的には宇宙もののSFだが、デフォルメされた動物達の所為で非常にメルヘンな感じが漂っている。そしてのん気にほのぼのやっていると思えば、不意に切なくなったりホロリときたりする。ちぐはぐなんだけどそれがこの作者のカラーだ、といわれて納得できてしまうのが川原泉のすごいところだと思う。

一番心を打たれたのはライカ犬のくだり。世界で最初に宇宙を飛んだ生き物が犬だってことは知っていた。でもこんなに悲しいエピソードだったとは。キラ船長の語り口があまりにも静かで胸が締め付けられるようだった。
人工衛星に乗せられて
独りぼっちで死んでいった
あのライカ犬にくらべたら

僕の人生
まだ ましさ…

今年もSFと猫とフリーソフトに恵まれますように

2007年01月09日 23:34

いまさらですがあけましておめでとうございました(誤。

先日ハルヒの宣伝カーを渋谷で見かけました。『God Knows...』をガンガン流してました。思わず目が釘付けに・・・って新年早々ハルヒネタで始まってしまいましたね。

このブログで涼宮ハルヒばっかり取り上げているから、私が相当ハルヒに傾倒しているように見えるかもしれませんがそれは誤解です。なんか知人にそう思われているようなので少し反省です。

涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ、面白いのは確かです。
SFとしてもなかなか楽しめるし、ここ最近読んだラノベではダントツだと思います。
アニメもハイレベルで感動しました。

でも私の人生ハルヒ一筋ってわけじゃないんです。もちろん。

ハルヒはネタ的に扱いやすいんですよ。だからどうしても言及する機会が多くなってしまう。本来ならハードSFとか古典的名作SFとかをどしどし読んでばりばり感想・レビューをしていきたいんですが、どうにもそううまくはいかないようでして。

はじめた以上「涼宮ハルヒについて大いに語る」は既刊の文庫とアニメをカバーします。それから長門さんの100冊もちまちま進めていきます。今は「猫たちの聖夜」を読んでいます。ミステリーだけど猫なので守備範囲内です。


そんなわけで今年もよろしくお願いいたします。



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