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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

2006年04月17日 00:00

ギが復活して早一ヵ月半。やっぱりギの連続投稿はうざったい(苦笑)。ならちゃんと私が記事書けよって話なんだけどね。

最近読書熱が再発したのはいいんだけど、読むものが片っ端からラノベっぽいものなので、あんまり達成感というものがない。あんまりラノベばっかり読んでると、普通の文学に戻れなくなりそうで怖い(笑)。それよりも、なんで試験前になってこういう病が発症するのか。

さて最近、戯言シリーズとか、まるマシリーズとか、十二国記シリーズとかにまぎれて、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。SFだと断言していいのかわからないけど、SFっぽい感じも結構するので、ここで取り上げさせてもらう。


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉
村上 春樹 (1988/10)
新潮社

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『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は二つの世界が交互に、そして絡み合って進行する形式の小説だ。「世界の終り」は影を切り離された<僕>が壁に囲まれた街で夢読みとして暮らす話。一度この街に入ったら二度と外には出られない。街の壁を越えられるのは鳥達だけ。あたり前のように存在する街の奇妙な決まり事。そして寒い冬が来る。以前『灰羽連盟』というアニメ(と同人誌)を見た私の脳内では、完全にこの「世界の終り」と「灰羽連盟」の世界がリンクしてしまっている。美しく、やさしく、静かなのに、何処となく厳しさと、寂しさと、そして不気味さを内包しているような世界観が印象的。
一方「ハードボイルド・ワンダーランド」では計算士である<私>が老博士に出会い陰謀めいた事件に巻き込まれていく。世界が終わると告げられた<私>はタイムリミットが迫る中、自分の脳に仕掛けられた秘密を知る・・・。一見<私>の属する世界は、一昔、二昔前の我々の世界に酷似しているが、ところどころに見られる齟齬が気持ち悪い。

全体を通してみると、綺麗にまとまっている感じがする。数回「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」を行き来して、それぞれの世界観がつかめたら、あとは一気に読み進められる。交互に世界が変わって話が進む手法も、非常に効果的だと思う。ただ、良くも悪くもとても村上春樹っぽい。村上春樹の著書をあんまり読んでない私が言ってはいけないことかもしれないが、男女の会話文とかがひたすら村上春樹調。つまり不自然。そこにつっかかるか、つっかからないかによって全体の印象が変わってくるかもしれない。

『世界の終りと~』と『灰羽連盟』セットだとより楽しめると思うのでお勧め。


蛇足になるが、本作品の中に出てきた「百科事典棒」にちょっと感動を覚えてしまった。

百科事典棒というのはどこかの科学者が考え付いた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻み込めるという説のことですな。(中略)情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置き換えます。ひとつひとつの文字を二桁の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合にです。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。そしてそれを並べた一番前に小数点をおきます。するととてつもなく長い少数点以下の数字が並びます。0.173200631……という具合ですな。次にその数字にぴたり相応した楊枝のポイントに刻み目を入れる。つまり0.50000……に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0.3333……なら前から三分の一のポイントです。(中略)そうすればどんな長い情報でも楊枝の一つのポイントに刻み込めてしまうのです。もちろんこれはあくまで理論上のことであって、現実にはそんなことは無理です。そこまで細かいポイントを刻み込むことは今の技術では出来ません。

賢いなと思った反面、例えば5個の文字があったとしたら、それは小数点第10位まである少数だということ。楊枝の長さが5cmだとしたら、最後の文字を決定するためにはピコ単位でポイントを刻まなくちゃいけないことになる。これって、原子の直径よりも小さいんだよね。どー考えても技術云々でどうにかなるレベルの話じゃないと思うなぁ。ましてや百科事典って何文字あるのさ。
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