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エイリアン刑事 & 20億の針

2007年09月30日 14:05

大原まり子の小説「エイリアン刑事」。エイリアン刑事。刑事と書いてデカと読む。「スケバン刑事」とか「ドーベルマン刑事」とかそんな感じで。ちなみに何故刑事のことをデカと呼ぶようになったかというと、明治時代の刑事は角袖(和服)をきていたので、角袖を逆さから読んで「でそくか」→縮めて「でか」。あーなるほど、と素直に頷けないまどろっこしさがあるよな。

それはさておき。エイリアン刑事。宇宙人が刑事なんだろうな、とそれだけの情報量しかないタイトルだけど、作者が大原まり子なので、単純な刑事モノではないのだろうと推測。冒頭の謝辞に、ハル・クレメントの「20億の針」と映画「ヒドゥン」にインスパイアされて書いた、とあったのでせっかくだから本棚に3年近く眠っていた「20億の針」と同時進行で読むことにした。

エイリアン刑事(デカ)〈上〉 / 大原 まり子

エイリアン刑事(デカ)〈下〉 / 大原 まり子

20億の針 / ハル クレメント


両作品とも要するに、寄生型の宇宙人犯罪者<ホシ>が地球に逃げ込んできて、それを追う同じ種族の捕り手が、寄生した人間と協力して犯罪者<ホシ>を捕らえようとする、というのが大筋。


「20億の針」ではホシと捕り手が地球の海に不時着する。捕り手は近くの島にいた少年の体に入り込み、人の言葉を覚える。ホシの足取りを掴むのに、宿主である少年とコミュニケーションをとって協力を仰ぐ。そして二人で推理をし、島民の様子を窺い、ホシが寄生した人間を特定していく。刑事と犯罪者の、罠の張り合い、騙しあい、息を飲ませぬスリルとサスペンス、というような要素はあまりなかった。どっちかっていうと、島の少年達ののびのびとした自由な毎日を垣間見ることが出来るので、雰囲気としては「十五少年漂流記」みたいだな、と思った。寄生宇宙人も、なかなか脆弱な存在で、宿主の体の外だとあまりにも無力である。宿主の体中でも、実はあんまりすごくないけど。宿主の肉体を自由に動かすことすら出来ないわけだし。


一方「エイリアン刑事」にでてくる寄生生物は何でもありだ。宿主の筋力を増強したり、反射速度を上げたり、代謝を高め肉体を若返らせたりできる。舞台は近未来のトオキョウ。地球に逃げてきたホシは寄生する人間を乗っ取り乗り換え乗り捨てて、トオキョウのマフィアのボスの体を手に入れる。宇宙からの刑事ラスは、強盗に襲われ意識不明におちいったトオキョウの刑事レイの体に侵入。レイが意識を取り戻さない間に、レイの同僚の女刑事アキとなんかいい感じに。そこにレイも復活し、よくわからない種族を超えた三角関係を構築。クローン、コールドスリープ、アブノーマルな愛、殺し合い娯楽ショー、などの大原まり子お得意(?)のぐちゃぐちゃした社会をバックグラウンドに、愛の力でレイたちはホシとその最終宿主であった大犯罪者ハシムドを撃破する。

確かに話の型は「20億の針」を踏まえているが、「エイリアン刑事」は全く方向性が違う。全面的に大原まり子調だし、エンターテイメント性が高い。単純に比べてしまった場合、「エイリアン刑事」の方が迫力がある。

それぞれの作品に続編があり、「20億の針」は「一千億の針」、「エイリアン刑事」は「エイリアン刑事2」に続いている。


もし、友好的な寄生型宇宙人と共生することになったら。私はアレルギー性鼻炎を止めてもらいたい。あ、あと、人前でお腹がぐーぐー鳴ってしまうのも止めてくれると大変助かるなぁ。


関連:大原まり子
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戦争を演じた神々たち

2005年12月25日 00:00

なんかイロイロとSFは読んでるはずなんだが、ブログに書くのをずるずる延ばしてしまった。やっぱり早めに書かないと、鮮度は落ちるし、感動も薄まるし、印象もあいまいになるし、いいことなしだな。

戦争を演じた神々たち / 大原 まり子
最近大原まり子をよく読む。
夏に「ハイブリッド・チャイルド」を読んだときには、いまいち解らなかったのだが、「一人で歩いていった猫」「戦争を演じた神々たち」、と作品をいくつか読み続けて、だんだん壮大な大原まり子ワールドが息づいているのが感じられるようになった。

「戦争を演じた神々たち」この本は六本の短編から成り立っている。

・・・。

ココまで文を書いてみて、気がついたことがある。大原まり子の作品は、うまくあらすじをまとめることが出来ない、少なくとも私には。つまりはハッキリした物語性を持っているように感じられないということだ。それでもそこに不満を感じるわけでもなく、ただただ世界観に引き込まれていってしまう。不思議だ。

大原まり子は詳細な描写をするわけではない。むしろ説明せずに、既に存在している世界に予備知識なしに読者を放り込む。一つの作品では断片的な情報しか得られないが、ほかの作品もあわせて読むことで、つなぎ合わせて大きなビジョンを得ることが出来る。その過程が面白い。しかし、一つの作品のみをとっても、説明不足でつまらないなんてことはなくて、なぜか鮮烈なイメージを後に残す。美しいが悲しげで、どこか奇妙にねじくれているような。


「戦争を演じた神々たち」の感想を書くつもりが、大原まり子の作品全体の話になってしまった。それじゃまずいので「戦争を演じた神々たち」で思ったことを一つ二つ。

『天使が舞い降りても』
銀河郵便シリーズを髣髴させるキャラクターと内容。

『異世界Dの家族の肖像』
なんというかすごく大原まり子っぽいと感じた。


実際には神は作品中には登場しないのだが、神々というタイトルに負けてない。むしろ、やっぱり神話というくくりしかないという気分にさせられる。

ちなみに、「戦争を演じた神々たちII」という本もあるらしい。興味ありだ。

猫語録002 ~一人で歩いていった猫より~

2005年10月30日 00:00

一人で歩いていった猫 / 大原 まり子 正式な読書感想・紹介は後に書くとして。

なにはともあれ猫なのだ。

表題作「一人で歩いていった猫」の冒頭の句にやられた。

これはかつて“猫”と呼ばれた人間の物語である。
猫は比類なき知性に恵まれていたが、おおかた先祖は地球産の猫だったので、外見は直立二足歩行の化け猫といったところだった。もっとも、中には北極グマを祖先にもつ者もいたのだが、例の“猫は猫に帰れ”運動の大旋風のあおりをくらって、誰も彼もが黄金色(イエロー・ゴールド)の目に赤い毛皮をもつ猫形態(キャット・フォーム)になってしまった。
この物語はそういう平凡な猫の物語だ。いささか謙遜で、付き合いが下手で、さほど忍耐強くもなく、人生の九九パーセントを平穏にすごした猫の、残りの一パーセントの物語だ。巨大な歴史の歯車の一つを担いながら、異星の大地を愛でつつ死んだ猫の物語だ。


「“猫は猫に帰れ”運動」すばらしい響きだ。
ルソーの「自然に帰れ」より明示的で力強いね。
ただ、黄金色の瞳で赤い毛皮っていう規格性はいただけないな。
私はクロだってシロだってミケだってトラキジだってブチだってみんな好きなのに。




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